研ぎ澄まされた感覚は水や風の音だけではなく、光の音をも享受する
崖麓の土地で日の光はあまり届かない。湿気も多くじめじめとしている。崖からは少しずつ水が滲み出ていて、雨期には小さな滝のような流れが崖を伝う。少し陰気で建物を建てるには向かないと思われていた場所。長年放置されていて空気が澱んでいた場所。そんな場所にどんな空間を生み出すべきか。
どんな土地にもその土地の特性がある。それをポジティブな要素として捉えるか、ネガティブな要素として捉えるか、それは土地と向き合う人間の価値判断に過ぎない。
この鬱蒼としていて、陰気であって、水が常に滲み出ているような土地に小さな教会とギャラリーを計画する。建物の用途は決まっていたが、場所が決まっていなかったため、土地探しからの相談であった。教会といっても宗派や崇拝対象はない。
薄暗い空間の中で聞こえるのはかすかな水の音と風の音。その中で人それぞれに内在する感覚と向き合う。ギャラリー空間も照明をほとんど用いない。しかも、開館時間は太陽の光が多く入る日中ではないのだ。この場所への門は日没前に開く。日没前の橙色の日差しは、鑑賞空間を中世の教会堂を思わせる劇的な光の変化で満たしていく。そして、ひとときの光の輝きは過ぎ去りすぐさま夜がやって来る。この過程では目が暗さに慣れず、展示品を鑑賞することもおぼつかない。ここでは人間の創造力だけが働く。そこに、水の音と風の音だけが自分の周りを満たしていくことを感じる。そして、目が暗闇に慣れた時、月の明かりが教会と展示空間に入りこむように計画する。その瞬間、研ぎ澄まされた感覚は水や風の音だけではなく、光の音をも享受する。